どさんこワイド179

札幌の歴史を歩いて探訪!てくてく洋二〜中島公園編

2018年6月11日(月)

札幌の歴史を歩いて探訪!てくてく洋二〜中島公園編

  • てくてく洋二
北海道の知られざる歴史を、木村洋二アナウンサーと専門家が歩いて探す新コーナー「てくてく洋二」。今回は「札幌の歴史は中島公園の歴史〜鴨々川が育んだ百の顔〜」をテーマに、中島公園を調査・研究している札幌市公文書館の佐藤真名さんと共に探訪しました。

札幌の歴史は中島公園の歴史〜鴨々川が育んだ百の顔〜

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    現在の中島公園
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    1980年代の札幌まつりの様子
中島公園は、豊平川の支流・鴨々川が園内を流れる市民のオアシスです。毎年6月14日〜16日は札幌に初夏を告げるお祭り「札幌まつり」が開催され、400もの露店が並び賑わいます。
中島児童会館
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昭和24年(1949年)に開設された、日本初の公立児童会館です。かつては進駐軍の兵舎でした。
菖蒲池
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    菖蒲池
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    1889年の札幌地図より
現在はボートも楽しめる大きな池ですが、明治初期、この池は元々何だったかご存知でしょうか?正解は“貯木場”当時は木材が沢山浮かんでいたんです。

明治時代の地図には貯木場の名残りが描かれており、現在の菖蒲池とは違い、人間の手で四角く整備されています。
豊平川・鴨々川を使って運ばれた木材は一時的に菖蒲池に貯められ、創成川を使って札幌の街中へ運搬されていました。
明治初期の札幌の街づくりに、この貯木場が重要な役割を果たしていたのです。

中島公園誕生へ

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貯木場はその後、公園として生まれ変わります。札幌市公文書館に貴重な資料「中島公園設計図」が残っていました。「札幌に住む人たちの癒しになるように」と、手書きで実に細かく描かれています。ここから中島公園の歴史が始まりました。
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設計図をもとに誕生した中島公園は、急激に様々な“顔”を見せます。
料亭や割烹など“社交場”としての顔、社会人大会も開催された野球場や市民プール等“スポーツ”の顔。中島公園は文化発信基地として札幌の人たちを繋ぎ、オアシスの役割を果たしてきました。
中島演奏所(1928年〜1959年)
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北海道で最初のラジオ放送が行われた場所です。演奏会や野球実況などが人気でした。“最先端”の顔でもあったんですね。
開道五十年記念 北海道博覧会
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今から100年前の1918年に開道50年を記念して開かれた北海道博覧会では、道外・国外から約67万人(当時の札幌市人口の7倍以上)が中島会場を訪れました。
多くの人たちが札幌を訪れたことで“市民としての誇り”が形成され、札幌の都市発展のきっかけとなったそうです。

中島公園周辺に残る当時の面影

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中島公園の周りを歩くと、当時の面影を見つけることができました。
現在は消防服を中心に取り扱う、大正末期から続く被服店「南川商店」や、かつて建っていた料亭「鴨川」の入口にあった灯篭など、当時の面影や名残を感じます。
星野醸造所跡
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    昭和3年の住宅地図より
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    写真左・煙突の跡、写真右・当時の星野醸造所
昭和3年の住宅地図にも載っている「星野醸造所」は、昭和40年代まで味噌・しょう油を作っていました。現在、ご子孫が暮らす一般住宅になっていますが、レンガ造りの煙突の跡などが残っていました。
古民家Gallery 鴨々堂
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    大正15年の中島公園を映した貴重なフィルム
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大正末期から昭和初期に建てられた古民家は、当初“置屋”という芸者などが待機する場所として使われていましたが、現在はイベントスペース「古民家Gallery 鴨々堂」として再利用されています。

こちらでは、スタッフ・津田さんの先祖が映したという、92年前の貴重なフィルムを見せていただきました。当時も今も中島公園が憩いの場であることが伺えます。
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