どさんこワイド179

札幌の歴史を歩いて探訪!てくてく洋二〜篠路編

2018年8月23日(木)

札幌の歴史を歩いて探訪!てくてく洋二〜篠路編

北海道の知られざる歴史を、木村洋二アナウンサーと専門家が歩いて探すコーナー「てくてく洋二」。今回は、札幌の歴史に詳しい「札幌市公文書館」の榎本洋介さんと共に「北区篠路」を探訪しました。
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今まさに収穫期を迎えている北区篠路の「玉ねぎ畑」です。隣町・丘珠で日本最初の玉ねぎ栽培が始まったのは実に140年前のことで、篠路地区も古くから一大農村地帯として栄えてきました。

JR篠路駅前

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JR篠路駅前から探訪スタートです。駅前に来ると一大農村地帯として栄えた名残があります。それは札幌軟石でできた古い倉庫の数々。赤レンガでできたものも残っています。昔はこの倉庫に玉ねぎを始めとする作物が保存され、篠路駅から列車で全国へ輸送されていました。
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約40年前の住宅地図を見ても、至るところに、カタカナで書かれた「ソーコ」の文字が。これを見ても篠路地区にたくさんの貯蔵用倉庫があったことがわかります。駅前には商店や床屋さんなど地元の人が集まるお店が立ち並び、農産物の物流はやがて、人々の交流を生み出しました。昔からこの場所で新聞配達店を営む社長さんは「40年前は個人商店も多く、人通りも多かったですね」と当時の様子を教えてくれました。

篠路の開拓は江戸時代末期から

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明治時代から篠路で5代に渡って玉ねぎ生産を続ける大萱生(おおがゆ)勝さんにもお話しをお聞きしました。「昭和の末頃が玉ねぎの生産量のピークで、今は3分の1程までに減少した」

篠路の開拓が始まったのは江戸時代末期。荒井金助という役人が農民を募り、この地に入植しました。当時の村の名前は「荒井村」だったそうです。明治14年に書かれた図面を見ると、石狩川に向かって流れる川が篠路のあたりで合流しているのがわかります。榎本さんは「四大河文明と同じように、水辺を中心に栄えていった」と解説してくれました。

この土地をさらに農村地として発展させるために生まれた川もありました。1888年にできた「赤坊川」は人工の堀です。当時、道路やトンネル整備などの労働力だった囚人が、篠路では川を掘っていたという歴史があります。赤い服を着て作業する囚人のことを“赤坊(赤ん坊)”と呼ぶことがあったそうです。

篠路神社

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篠路を一大農村地として大きくした開拓者の想いは「篠路神社」でも垣間見ることができます。篠路に入植した富山県の人たちが故郷の「獅子舞」を広めました。獅子舞は、豊作豊年を祝って毎年9月の秋祭りに篠路神社に奉納され、今年で118年目になります。
そして「篠路歌舞伎」も富山県からの入植者が広めました。今は子供歌舞伎として、地元の子供たちに受け継がれています。富山県から篠路へ入植した4代目、中西俊一さん(88歳)は「先人が富山から歌舞伎や獅子舞を持ってきたことで、篠路で農業をする人たちに団結心を生んだ。私も祖父や曾祖父の想いを子供たちに伝えていきたい」と話してくれました。
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