どさんこワイド179

札幌の歴史を歩いて探訪!てくてく洋二〜苗穂編

2018年10月4日(木)

札幌の歴史を歩いて探訪!てくてく洋二〜苗穂編

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北海道の知られざる歴史を、木村洋二アナウンサーと専門家が歩いて辿るコーナー「てくてく洋二」今回は、来月新駅舎に移転が決まっている「苗穂駅周辺」がテーマです。案内人は、会員数700人以上を誇る札幌建築鑑賞会の代表・杉浦正人さん。大の「札幌軟石」好きです。

JR苗穂駅前をてくてく

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今年11月に新駅舎が誕生することで話題の「苗穂駅」にやってきました。現在の駅舎は81年前、1937年に建てられた戦前の木造駅舎です。30年以上前から苗穂駅構内で営業を続ける理髪店「カットハウスおおにし」の店主・大西さんは「苗穂でSLを作っていた時代は5000人くらいが働いていた。駅で働く人は家族のような存在。駅が無くなるのはやっぱり寂しい」と話してくれました。
そして2人は駅全体が見渡せる跨線橋へ。すると「なぜこんなにたくさんの線路が並んでいるんだろう?」という素朴な疑問が浮かんできます。それは、かつて苗穂駅周辺にあった企業や工場から製品や材料を運ぶための“専用の線路”が敷かれていたからです。
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苗穂駅前に出た2人。ここには路面電車も走っていました。廃止されて40年以上が経ちますが、いま再び市電延伸が検討されています。
線路沿いを歩いていくと「新川倉庫」という古びた看板を見つけました。こちらには平成4年まで札幌軟石でできた倉庫が立っていました。この他にも苗穂には軟石倉庫が残っており、かつては玉ねぎなどの野菜を保存されていました。市電はここで働く人たちの足として苗穂に開通されました。

「SL」の製造工場も

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駅前には、昭和時代の国鉄を代表するSL「D51(通称:デゴイチ)」の車輪を模したモニュメントも飾られています。苗穂は道内でも数少ないSLの製造工場もありました。苗穂駅が鉄道と密接な関係だったという証を今、見ることができます。

さらに東へ進み、苗穂アンダーパスへ。線路で分断された南北を渡る交通量の多い道です。アンダーパスができる前はこの場所に踏み切りがありました。車の所有率が低かった1970年代ですら、踏切の両側に40台以上の車が渋滞を作るほどの交通量の多さで「開かずの踏切」と呼ばれていました。電車の行き来に関係なく車が交通できるアンダーパスが1988年に誕生したのは画期的でした。

扇状地の端に位置する苗穂

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苗穂が物流の大動脈として栄えた要因は「札幌中心部の地形」に関係がある、と杉浦さんは言います。札幌中心部は、川が運んだ石や砂でできた「扇状地」という地形で、苗穂はその扇状の端に位置します。それが重要なポイントです。
扇状地の地層は水を通しやすく、豊平川などの伏流水が地下を流れています。その水が湧き出す場所が、扇状地の端にある苗穂地区というわけです。
自然に湧き出る水の宝庫であり、豊かな水の恵みでモノづくりが発展。そして物流の拠点として生まれた一大鉄道網。これが苗穂が栄えた最大の理由です。

味噌醤油工場「福山醸造」

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道民にはお馴染みの味噌醤油メーカー「福山醸造 株式会社」の工場も苗穂にあります。明治24年に創業し、こちらのレンガ倉庫は大正7年、今からちょうど100年前に建てられました。今も現役で働いています。当時は醤油を樽に詰めて出荷していたそうで、工場から苗穂駅まで直接、線路で製品を運んでいたんです。

味噌醤油工場が惚れ込んだ苗穂の地。サッポロビールや雪印、太平洋セメント、国鉄の車両工場など、北海道から全国そして世界へと名を轟かせる企業や工場も惚れこみました。人の暮らしと密接した製品が生み出されていきました。
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