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歴史探訪てくてく洋二〜手稲山口編

2019年7月18日(木)

歴史探訪てくてく洋二〜手稲山口編

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北海道の知られざる歴史を、木村洋二アナウンサーと専門家が歩いて辿るコーナー「てくてく洋二」。今回は「手稲山口で胸もアツくなれ!」をテーマに手稲区の「手稲山口」を訪れました。案内人は、手稲山口で暮らすこと80年の尾池純一さんです。

山口開基百年記念碑

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まずは、手稲山口発祥の地へ向かいました。手稲山口はその名の通り山口県から移住してきた人たちが中心となり、明治15年に「山口村」を作ったのが始まり。最初は移住者代表の“宮崎源次右衛門”が数十名を連れやってきましたが、やがて人が増え明治25年頃には100戸以上の人が開拓に臨んでいました。しかし、手稲山口の砂地のような地質では大量の作物を作れないことを理由に初期移住者の約半数が道内各地に去ってしまいました。
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現在、開拓当時から手稲山口に住む子孫の方が10軒ほど暮らしています。開拓当初に入植した「名島家」の五代目にあたる名島敏美さんです。名島家が入植してから約140年、敏美さんに手稲山口で暮らしていて山口県を感じた事はありますか?と聞いてみたところ「全くないですね。ただ、名島家は山口県に由来していて、名島城もあるとか」と笑いながら話してくれました。

100年以上続く名物

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砂地は熱を持ちやすく、足が低温火傷することもあるほど。山口県からの開拓者はその地質を理解し、スイカの種を持ち込み栽培を始めました。スイカは別名「日照り草」という程で、山口地区に適した作物として持ち込まれました。北海道の砂地で作るスイカは寒暖の差で甘みが増し、「山口すいか」として地域の一大名物になりました。「山口すいか」を多くの人に知ってもらうため若い女性を募って「山口すいか娘」と名づけ、札幌市内中心部で宣伝活動をしていきました。昭和50年には「山口すいか」は北海道産のスイカだとわかってもらうために「サッポロ西瓜」と名前を改め、販売を全国に展開していきます。
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バッタ塚

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作物を育む大地を守るための戦いの歴史が残っていました。開拓時代の北海道では、各地にバッタが大群で押し寄せ農作物に甚大な被害を与えていました。虫や卵を土に埋めた跡が「バッタ塚」として手稲山口に残っています。昭和53年に札幌市指定史跡になりました。
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