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宮永 真幸 プロフィールへ
 75歳以上を高齢者としてはどうか?という話がニュースになった。少し前の時代、僕が子供の時にはまだ「人生50年」という言葉が世間で使われていた。もちろんその頃すでに平均寿命は50歳をずいぶんと超えていたわけだが、なんとなく現役としては50歳が一区切りのようなイメージをもっていた。その年齢に自分がなった。なったけれど、49歳と50歳はひと続きの流れの中にあって、記号が変わっただけというのが実感だ。ただ、他人から見れば「50歳」という記号は何かしらの意味を持つ。
 時計の針が自分で、世間が文字盤を見ているようなものだ。針は前に進むことを意識するだけで、何時何分を通過したかは世間が判断する。
 キング・カズことサッカーの三浦知良選手が同じ1967年生まれだ。最年長ゴール記録というスポーツ史上での大きな意味としての50歳はもちろん意識している。(だから演歌歌手顔負けの派手なスーツで記者会見している)そのカズにしても49歳最後の日も50歳最初の日も同じように走り、ボールを蹴り、自らを鍛えているはずだ。そのことはインタビューなどから伺える。
 僕の場合、50歳という記号は記録にもならないし、世間から見ても大きな意味は持たない。せいぜい飲み屋で隣に座った客から「見えませんねえ!」と世辞を言われるきっかけ程度のものだ。しかし、刻んできた時よりもこれから刻む時間のほうが少なくなっていることは意識せざるを得ない。その中でなにかを変わらず続けることをより大切にするようにはなった。矛盾するようだが、きのうと同じ自分であることが新しい自分をつくるのだと思っている。芯のぶれない針を前にすすめて今日も明日をつくるのだ。