春分の日に思う 高山 幸代
2020年3月20日(金)

高山 幸代
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喜び事の多いこの時期。今年は節目のセレモニーをいつも通りに行えない事態になっている。日差しの力強さに、吹く風の柔らかさに、季節が着実に前に進んでいる実感はあるのだが、心のどこかに常に引っかかっているものがあり、いつものように手放しで春の訪れを喜べない自分がいる。
今、してはいけないこと、しない方がいいこと、たくさんの制約の中で生活している。ふと、今までいかに自由だったのか、考えさせられる。
「自由」という言葉の、今まで理解していたのとは違う意味、うわべではない部分を学んだ気がする。
憂鬱なラッシュ時の通勤電車も、うんざりするような長い会議も、学生さんにとっては、時にしんどい全校朝会も、もっと言えば、学校に行けていたこと自体、自由であればこそ。すべて、安心・安全の上に自由があり、だからこそ成り立っていたのだと。
今回の経験を経て、本当の意味で心の春を迎えられる日が来たら、もしかすると、あのギュウギュウ詰めの満員電車すら愛おしく感じられるようになるかもしれない…。
そんなことを思いながら、またゆっくりとした時間の流れる3連休が始まる。
今、してはいけないこと、しない方がいいこと、たくさんの制約の中で生活している。ふと、今までいかに自由だったのか、考えさせられる。
「自由」という言葉の、今まで理解していたのとは違う意味、うわべではない部分を学んだ気がする。
憂鬱なラッシュ時の通勤電車も、うんざりするような長い会議も、学生さんにとっては、時にしんどい全校朝会も、もっと言えば、学校に行けていたこと自体、自由であればこそ。すべて、安心・安全の上に自由があり、だからこそ成り立っていたのだと。
今回の経験を経て、本当の意味で心の春を迎えられる日が来たら、もしかすると、あのギュウギュウ詰めの満員電車すら愛おしく感じられるようになるかもしれない…。
そんなことを思いながら、またゆっくりとした時間の流れる3連休が始まる。