どさんこワイド179

福永探偵社〜なぜ北海道のお花見はジンギスカン?

2019年5月7日(火)

福永探偵社〜なぜ北海道のお花見はジンギスカン?

本日の特集は、なぜ北海道民はお花見でジンギスカンをするのか、そのルーツを福永探偵社が徹底調査しました。
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いつから始まったのか

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円山公園で花見客に伺ったところ、二、三十年前という声が多かったのですが皆さんの記憶は曖昧でした。さらに全国各地の“お花見で食べるもの”を調べたところ北海道は「ジンギスカン」だったのですが、大阪は「たこ焼き」、福岡は「明太子」など各地の名産を食べるという結果になりました。

円山に70年以上住んでいる川原さんと佐藤さんにご協力いただきました。お二人が幼少の頃は、お花見の時にジンギスカンはやっていませんでした。そもそも円山の桜は明治8年に植えられたのが始まり。大正時代の写真には賑わう人の様子が写っていますが、ジンギスカンの形跡はありません。STVに残っている昭和43年のニュース映像を見てもお酒に酔って木登りする人や、熟睡している男性の姿はありましたが、ジンギスカンを食べている姿は見当たりません。昭和53年の映像にはジンギスカンを食べている映像があり、昭和43年〜53年の間に始まったという検証結果になりました。この結果を札幌市に問い合わせましたが、正式な年数は確認できないとのことでした。
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ジンギスカンのルーツ

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ジンギスカンのルーツを調べ、お花見との繋がりを探していきます。軍服を作る羊毛を国内で賄う必要に迫られた政府は、大正7年、めん羊を100万頭に増やす計画をたてました。その場所に選ばれたのが、後にジンギスカンで有名になる「月寒」と「滝川」です。ここで戦後、毛を刈ったあとの羊をどう食べるのかを工夫していきました。

薄切りの肉と野菜を鉄鍋で焼く食べ方は、戦後に中国から伝わってきました。その食文化を持ち帰った人物が月寒の八紘学園の創設者・栗山元二郎さんでした。「八紘学園70年史」によると、屋外でジンギスカンを行い来賓をもてなしていたのが屋外ジンギスカンの始まりでした。栗林さんは戦後、学園の中にジンギスカン鍋を囲んで親睦を深める「ジンギスカンクラブ」を結成。これが話題を呼び、札幌で屋外ジンギスカンの一大ブームが巻き起こります。しかし、花見との関係については記されていませんでした。
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花見ジンギスカンのルーツは…

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更に情報を得るために、滝川市にある松尾ジンギスカンの本店へ向かいました。松尾ジンギスカンの社員だけに配布される「50年史」によると、花見ジンギスカンのルーツは「創業当時、松尾ジンギスカンが行なった滝川公園での試食販売」との記述がありました。松尾ジンギスカンは当時、ジンギスカンの販売を流通させるため、お花見で人が集まっている滝川公園で試食販売を行いました。当時、ジンギスカンを扱っていた売店の建物が今でも残っています。その後、滝川の花見ジンギスカンは全道各地に広まり、戦後、道民の貴重な春の楽しみとなっていったようです。
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