どさんこワイド179

札幌の歴史を歩いて探訪!てくてく洋二〜山鼻編

2019年11月14日(木)

札幌の歴史を歩いて探訪!てくてく洋二〜山鼻編

  • 札幌の歴史を歩いて探訪!てくてく洋二〜山鼻編
北海道の知られざる歴史を、木村洋二アナウンサーと専門家が歩いて辿るコーナー「てくてく洋二」。今回は「山鼻発展の秘密は1本の巨木にあり!」をテーマに、豊平川と藻岩山に挟まれた“山鼻エリア”を、山鼻第二町内会会長で陶芸家でもある陶之凍炎さんと共に探訪しました。陶之さんは生粋の山鼻っ子で「山鼻百五十年史」を編纂中です。

住所には無い“山鼻”

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実は、山鼻という住所は現在の札幌には無く、豊平川と藻岩山に挟まれた南3条〜南30条付近のエリアが山鼻村として明治時代に開拓されたことに由来します。
明治以前は藻岩山の端にあるということで“山端(やまはな)”と呼ばれていました。その後、文字を変えて“山鼻”になりましたが、その理由は今も分かっていません。
山鼻は中央区の外れにありながら区内最多の人口約3万6000人を誇ります。

山鼻の発展と“少し曲がった道”

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山鼻エリアの北・中央区役所の前にある石山通は、まっすぐ続く道が途中で少し曲がっています。ここはかつて開拓使が作った札幌本府と屯田兵が作った山鼻屯田兵村の繋ぎ目となる場所でした。碁盤の目の角度がそれぞれ違うマチが一つに繋がる時に道路の食い違いが起きたため、今でも少し曲がっています。
  • 札幌の歴史を歩いて探訪!てくてく洋二〜山鼻編
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山鼻の中心部、石山通と行啓通の交差点にも途中で少し曲がる道があります。ここにはかつて柏の巨木があり、明治天皇が北海道視察の際にお声を掛けられたことから「お声掛かりの柏」と呼ばれていました。そのため、道路拡張の時に切らずに残し、少し曲がった道が作られました。
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後に老朽化した木は安全の為に切り倒されましたが、後世に残そうと根の一部を大切に育てたものが山鼻公園に植えられています。樹齢は50年近くなりますが先代の巨大さには及ばないと言います。

山鼻と行啓通

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国道230号石山通と市電通を結ぶ直線の道路・行啓通は、1911年(明治44年)のちに大正天皇となる当時の皇太子が通ったことから行啓通と呼ばれるようになりました。父である明治天皇がお声を掛けた柏の木を見るためにお越しになり、当時は畑や果樹園が広がるだけだった道が、皇太子の行啓によって人も集まる注目の道になりました。
その想いは引き継がれ、後に昭和天皇(当時皇太子)も訪れています。その翌年(大正12年)には路面電車が開通し、山鼻はさらに大きくなりました。
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人が増えると学校が必要になり、札幌で最初に出来た高等教育機関・札幌第一中学校(現・札幌南高校)が山鼻へ、さらに札幌静修高校(元・静修会女学校)、技術者を養成する札幌工芸学校(現・札幌工業高校/北区)、経済を学ぶ札幌経済高校(現・立命館慶祥高校/江別市)等が山鼻に続々と開校しました。
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