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札幌の歴史探訪!てくてく洋二〜夢のリゾートだった?藻岩山麓

2020年10月28日(水)

札幌の歴史探訪!てくてく洋二〜夢のリゾートだった?藻岩山麓

  • 札幌の歴史探訪!てくてく洋二〜夢のリゾートだった?紅葉の名所・藻岩山麓
  • 札幌の歴史探訪!てくてく洋二〜夢のリゾートだった?紅葉の名所・藻岩山麓
北海道の知られざる歴史を、木村洋二アナウンサーと専門家が歩いて辿るコーナー「てくてく洋二」。今回は、いま紅葉がピークを迎え、年間90万人以上が訪れる観光地・藻岩山のふもとの歴史を辿りました。案内役は、街歩き歴30年!札幌建築鑑賞会代表・杉浦正人さんです。

藻岩山麓が“憧れの住宅街”として栄えたワケ

  • 札幌の歴史探訪!てくてく洋二〜夢のリゾートだった?紅葉の名所・藻岩山麓
  • 藻岩山麓が“憧れの住宅街”として栄えたワケ
藻岩山麓に広がるマチは、伏見・旭ヶ丘・界川・円山などがあります。藻岩山麓が“憧れの住宅街”として栄えた理由は何だったのでしょうか?
  • 藻岩山麓が“憧れの住宅街”として栄えたワケ
  • 藻岩山麓が“憧れの住宅街”として栄えたワケ
東西南北の通りから逸れる「ナナメ通り」は正面に藻岩山を望む通りで、高級な雰囲気が漂う閑静な住宅街です。昭和5年頃に開発され“伏見花園街”と呼ばれていました。
杉浦さんが当時の住宅地販売の不動産広告を見せてくれました。立派なお宅の写真が写っていますが、これらは実際にこの辺りにあった住宅ではなく、外国の住宅雑誌から切り貼りしたものだったそうです。
  • 藻岩山麓が“憧れの住宅街”として栄えたワケ
  • 藻岩山麓が“憧れの住宅街”として栄えたワケ
    (写真左から)家主・前肇さん、杉浦さん、木村アナ
広告が出された頃に建てられたお家が今も残っていました。
昭和8年に建てられた前さんの家です。モダンな造りで、お庭も広くてしっかり手入れされていました。

住宅地として開発された理由

  • 住宅地として開発された理由
  • 住宅地として開発された理由
ナナメ通りを更に西へ進むと階段があり、階段を上った先にあったのは、1884年に創建された札幌伏見稲荷神社でした。ナナメ通りから繋がる道は神社への参道だったのです。
古くから信仰の対象であった藻岩山と札幌伏見稲荷神社の存在が、藻岩山麓が憧れの場所になった理由の一つでした。

藻岩山の転換点

  • 藻岩山の転換点
終戦の翌年である1946年、札幌にも進駐軍が来ました。彼らのレジャーが必要になり、藻岩山に当時の日本人は使うことができなかった進駐軍専用のスキー場「札幌スキー場」が作られました。当時の最新技術で日本初のスキーリフトが設置されました。
  • 藻岩山の転換点
    もいわ山ロープウェイ
  • 藻岩山の転換点
  • 藻岩山の転換点
皮肉にも敗戦によって最新設備が取り入れられ完成したスキー場でしたが、1958年に今度は日本人の為のレジャー施設として「もいわ山ロープウェイ」が誕生します。神聖な山が市民の手に戻り、一大観光地として大きく加速しました。
  • 藻岩山の転換点
  • 藻岩山の転換点
1959年、藻岩山の隣に更なるレジャー施設「藻岩山ドリームランド」も完成しました。足漕ぎボート、パラソルがついたボート、観覧車にジェットコースター等が揃う大遊園地でした。
「藻岩山ドリームランド」は1977年に閉園しましたが、これらのリゾートが藻岩山麓に多くの人を集め、発展させました。

大正時代には別のリゾートも!

  • 藻岩山の転換点
  • 藻岩山の転換点
  • 藻岩山の転換点
  • 藻岩山の転換点
夢のリゾート計画は、さらに時代を遡ります。
藻岩山の麓にある児童養護施設「札幌南藻園」の辺りには、かつて「札幌温泉」がありました。一度に50人が入れる大浴場や宴会場などがあり、多くの人で賑わいました。温泉は掘らず、定山渓から温泉をパイプで引っ張ってきたそうです。そのほうがコスト的にも安かったのが理由だそうです。
当時の“円山村”住宅誘致のポスターのアピールポイントの一つにも札幌温泉が挙げられていました。
  • 藻岩山の転換点
藻岩山麓に住んで約70年という坂本久さん(91歳)にお会いしました。幌西小学校の先生を勤めていたそうです。

坂本さん:札幌は大好き!私は山形県生まれなんです。住んでいる人たちもみんな良い人だし、もっともっと良い形で発展してくれることを願っています。
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