Dr.トーコのラジオ診療室

5月17日(日)「看取ることと生きることの意味」

2020年5月17日(日)

5月17日(日)「看取ることと生きることの意味」

  • 陶子先生、飯田先生、山本さん
山:先週に引き続き、苫小牧日翔病院の飯田潤一先生にお越し頂きました。
陶:今日は「看取ることと生きることの意味」という重いテーマですが、飯田先生にラジオ出演の話をした際に、医師としての心の持ち様の話題になり、後日先生からメールを頂きました。メールの内容はこのようなものでした。3月下旬に飯田先生の同期の先生が、御夫婦でダイアモンドプリンセス号から下船出来たことをニュースで知ったそうです。同期の先生は、この30年間助けてくれた奥様への感謝の気持ちでクルーズをしていました。飯田先生は、このニュースをみた別の同期生と「30年医者をしたんだね。後ろを向く暇はなかったね。いつの間にかこの春で丸30年だよね。」と話したそうです。
山:医師という仕事を30年間されて、振り返るきっかけになったということですね。
飯:僕の同期の先生方は、大学を卒業してからまた入学された方が多く、単純に医者になりたいというより、重たい理由と人生を背負っていた方たちでした。部活もしましたが、自分が医者になれるのなら、お金は食べるだけあればいいというような人たちばかりで、中には自分で働いて学費を稼いでいた同期の先生もおりました。大学ですから留年や退学や放校があります。入学時には100人以上同期生がいましたが、卒業時オリジナルメンバーは6割程度でした。そんな中僕が6年間で卒業出来たのは奇跡でした。医師になって2年間は、陶子先生もそうだと思いますがまともな休みはありませんでした。
陶:医者になっての2年間は、私にとって社会人になっての初めての2年間でしたが、生活のリズムをつかむとか、とにかく仕事をして生きているだけで精一杯の日々でした。
山:映画とかドラマで拝見するようなことが実体験としておありなのですね。それだけの苦学をされて、医師になって30年経った今、お思いになることはどんなことですか?
飯:よく患者さんやそのご家族から、「お医者さんは大変ですよね」と言われますが、医師は適切な指示、手技や投薬が重要です。仕事の中身から言うと医療事務、看護師や技士の方が大変だと思っています。医者の仕事で一番大変なのは、死亡の宣告をしなければならないことです。
山:医師という仕事は毎日、命と真っ向から向き合う仕事ですよね。
飯:人間が人間を看取らなければならないのは一番辛いことだと思います。僕が心がけていることは、死んで行くのは患者さんですが残されるのは家族ですから、亡くなる過程から家族の方に説明をして、気を付けているのは正確な時刻を宣告するためにちゃんとした時計をつけていることです。
陶:飯田先生は時刻が正確な黒色の電波時計を身に着けていますね。
飯:生まれた時間と死んでいく時間は本当に大事だと思うのです。僕の母のことですが、大腸がんの末期の時に主治医の先生から脳転移の手術治療の説得を依頼されました。母は「その手術は、どうしても受けないとならないのかい?おまえがそう言うのなら受けるよ」と言われましたが、とても辛かったです。医者になって2年目の時でした。親戚を看取ったり、親を見とったりしても、医者である自分が泣くことは出来ません。言い方としては「心肺停止して時間が経ちました。○○時○○分、お亡くなりになりました。」、「苦しそうに見えますから、酸素のマスクは外しておきますね。」、「しばらくお別れをしてあげてください。それから体を綺麗にしますね。」、ここまでを冷静に言わなければならないのは、大変だと毎回思います。髪の毛が抜けたのではという気分になります。陶子先生もそうですか?
陶:私は一度号泣したことがあります。今思い返すと医者としてはダメだったと思いますが、私たちも患者さん一人一人に思い入れがあります。これでよかったのだろうかと毎回繰り返し考えます。私が絶対やろうと決めていることがあり、「エンゼル・ケア」といって亡くなられた患者さんの体を綺麗する作業です。通常は看護師がやりますが、私が死亡宣告に立ち会った時は私が自分で患者さんの「エンゼル・ケア」を行います。体を拭いたり、少し顔を整えたり、髭を剃って差し上げたり、最後にしてあげられることはこれだけだ、と心を込めて行っています。
山:私たちの目に映るのは医療に従事しているプロの姿ですが、一方では内側でも心で見て下さっているのですね。
飯:何人看取っても人が死ぬときは辛いです。死を受け入れて達観するという方もいますが、生き物は生きようとすることがすべてです。生きるとは、生活をして同じ時代を生きて、色んな人と触れ合って出会うことで、お金があるかどうかが重要ではないと肌で感じています。
陶:飯田先生と知り合ったきっかけを前回お話しさせていただきましたが、飯田先生から頂いた忘れられない言葉は、「生きている意味というのは、自分がどれだけ周りの人間といい関係を作って技術伝承をして、自分が死んでもその技術が別の人間に受け継がれていく。ここにこそ意味がある」ということを教えて頂き、心に刻んでいます。
飯:陶子先生のお父さんが亡くなる時も辛かったですね。
陶:私は自分の父親を主治医として診て、かつ看取りました。1年半ぐらい前ですが未だに受け入れられていないところがありますが、この気持ちと共に生きていくのだと今思っています。
飯:生と死を感じることは、医者の仕事の一番辛いところです。生きて行くことを生で感じなければなりません。ですからしっかりと自分の思っている治療をしていかなければならないと思います。それでいろんな人と出逢って触れ合っていくことが大事だと思います。
陶:飯田先生は、ど真ん中に渾身の直球を投げたいと思う、とよく言ってくださいます。私もそういうタイプの人間で、嘘偽りなく自分も周りの人間もこれなのだと思ったことをやり続けていく関係性が医師の間でも築けて、その結果として患者さんの治療に反映できれば一番幸せだと思っています。
山:前回&今回と、スタジオに苫小牧日翔病院の透析センターの飯田潤一先生にお越しいただき、暖かな貴重なお話を伺いました。飯田先生、どうもありがとうございました。
飯:どうもありがとうございました。
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