Dr.トーコのラジオ診療室

1月3日放送『気のゆるみ、どうやって引き締める?』

2021年1月7日(木)

1月3日放送『気のゆるみ、どうやって引き締める?』

  • 陶子先生
陶:気の緩み・・・ありますよね?
山:そうですね・・なんとなく、もう疲れたよと思うことはありますよね。
陶:新型コロナウイルスの感染拡大がいまだ収まらず、今年も引き続き対策を続けていかないといけない、という話はあると思うんですけれど、そろそろ「対策疲れ」という声も聞かれています。なので、ここでひとつ新年を迎えて気持ちを新たに、今一度「マスクと手指消毒」徹底して頂きたいと思いますが、今日は特にそもそも「気の緩み」って何でしょう?どうやって引き締めるんでしょう?ということをお話していきたいと思います。
山:お願いします!
陶:だいたい “ずっと気を張る“ というのはストレスですよ。かといって、もう嫌だ!!!と言ってキレちゃうとか、もうマスクしない!とかには現状なっていないし、きっとそうはならないですよね。実際に起こっているのは、なんとなーく「これくらい大丈夫」っていう感じで感染対策が緩んでいることなんじゃないかなって思うんです。
山:そうですね・・・あまりにも日常の中での予防対策が当たり前のものになっていて、意識しなくてもひとつひとつの行為がなんかこう、流れ作業のようなものになっているかもって思う瞬間があるかもしれません。
陶:この、「これくらい大丈夫」って気持ち、なぜゆえにどこから湧いてくるか気になりません?
山:気になります。わかるんですか?
陶:その分野は私の専門ではないんですが、とても気になって調べてみたんです。そうしたら面白い記事を発見しましたので、ここで紹介していきたいと思います。
山:面白い記事ですか。気になります!
陶:徳島大学の保健管理・総合相談センター総合相談部門 講師、井ノ崎 敦子先生の記事なんですが、
これは数年前の記事で、特に新型コロナウイルスの感染についての話題ではないんですが、「気の緩み」について大切なことが書いてあって、感染対策が常識となりつつあるいまの社会に生きる私にとっても学びが大きかったんです。
山:バスの事故について書いてありますね。
陶:山本さん、この場所を引用したいので読んでみてくださいますか。
山:わかりました。
〜分析理論 (自我心理学)では、「これくらい大丈夫」という心の緩みを心の不健康さの指標の1つととらえています。規律を守るなど自己を律する力が十分機能せず、正しい判断と行為ができない心理状態のあらわれと考えられています。「これくらい大丈夫」という気の緩みは、その深刻さに応じて自己や他者の安全や幸福を奪うことにつながります。〜

陶:どうですか??私は、すごく、なるほど!と思ったんですよ。
山:「心の不健康さの指標の一つ」って言われると、どきっとします。
陶:ね、思い当たる節がありますよね。コロナ対策、もう疲れてますもん。国民みんなが。
山:みんな多かれ少なかれ、心は不健康ですよね・・・
陶:そう、だから、手指消毒、マスク、色々なもはや「規律」のようになっている事柄を守れなくなるっていうのも、良いかどうかは別として、仕方なく、「疲れの反映」としてとして起こり得ることなんじゃないかな、って腑に落ちたんです。
山:お!?意外なお答えですね!てっきり先生の「喝!」が入るかと思っていたんですが
陶:ふふ、意外ですか。では次はここ、読んでみてください。
山:はい。
〜「これくらい大丈夫」という気の緩みは、繰り返すことで習慣化し、次第に問題性を軽視することで問題行動を止めることができなくなります。これを精神分析では 自我親和的になると言います。自我親和的になると、問題を問題として認識できなくなるので問題を自主的に解決できなくなります〜
…って、先生、なんか怖いこと書いてありますけど!!
陶:ね、でもこれ、多かれ少なかれ皆さん身につまされるところがあるんじゃないかと思います。例えば私。「これくらいアイスクリーム食べても大丈夫」とかありますもん。
山:あ、それはあります!自分を肯定する理由を探したりなんかして・・・
陶:でしょう?、この「自我親和性」ってキーワードが大事だなって思ってちょっと調べてみました。その行動が自我、つまり自分の心に対してやさしいこと、言いかえれば、その行動を「結局、好きでやっていること」を指すそうです。
山:え〜!?「好きでやっていること」って辛辣ですよ〜!
陶:腑に落ちつつ傷ついてる、みたいな・・・(笑)。これもね、私すごく思い当たる節がありますよ。先日、病院の洗面所にピアスを落としたんです。
山:あー、それ、あるあるですね・・・
陶:ちょっとピアスが外れかけていたので調節しようと思って、鏡のある洗面所でいじったんですよ。そしたら手が滑って、あっという間に排水口にピアスがコロコロっと落ちていっちゃいましたね
山:その後、どうしたんですか!
陶:申し訳ない、と職員さんにお願いして排水口の下の配管のところを外してもらって無事ピアスは見つかったんですが、本当に本当に申し訳ないことをしました…。でね、このことを私、同僚の近藤先生に話したんですよ。なんでこんなことしちゃうんだろう、私…って。
山:まあ・・洗面所でピアス外すなんて、落とすリスクと隣り合わせですもんね。
陶:ねー!でもね、近藤先生がまたいいこと言うんですよ。「先生、それ、結局好きでやってるんですよ。」って。私、「なんで?!全然好きでやってない!」って思いました。そしたらね、近藤先生は「だって、面倒くさいでしょう。排水口のない、鏡のあるところを見つけるの。その手間を避けてるんです。手間を避けることで先生は得してるんです。」とくる。
山:近藤先生、なんかいつもすごいこと言いますね・・・
陶:示唆に富むことをいつも言ってくれて助かってます。ちょっと話が長くなりましたが、私も、結局、自我親和的な行為をするんですよ。それも自覚なく!
山:そうですね。みんな、そういうこと、多かれ少なかれあるかもしれません。
陶:人間なので、ストレスに対していろんな反応が出てくると思うんですが、今回「気の緩み」は、実は心の不健康さを反映して出てくることもある、というアイデアが興味深いなと思って紹介してみました。
山:そうか、自分は疲れてるんだな、って思えれば、少し報われるみたいなところありますもんね。
陶:まさしくその通り。だけど、その「自我親和性」、結局好きでやっている、という件ですが、読み進めていってみたらさらに怖いことが書いてあって。その先は「依存症」に続くんですって。「これくらい大丈夫」が依存症に続くなんて…って思われるかもしれないんですけど、「これくらい大丈夫」の繰り返しが良くないみたいで。例えば、禁煙しようと思っているタバコとかもこの1本、あと1本、あと1本・・・これを一生繰り返したら禁煙ではないわけですよね。ギャンブルとかでも、あとちょっとやれば勝てる、とか、そういうのを続けていくと、もうこれは結局好きでやっていることに理由をつけているだけみたくなっていく、ということのようですよ。これと感染症対策を一緒にしてしまうのはちょっと理論が飛躍するかもしれないんですが、「面倒くさいって思う自分」に気づいてほしいんです。それで、面倒くさいって思った結果、面倒くさくない方法をとってしまう。「これくらい触っただけじゃいいよ消毒しなくても」とか、「マスクしないでしゃべったって結局身の回りに誰も感染してないもん」ってなっちゃうかもしれないですね。いっそのこと感染対策なんてもういいよ、辛いからやめよう、とはいかないので、めんどくさいな、って思ったら、「ああ、これは私は疲れてるんだな」って認めてあげることって大事かなって思ったんです
山:がんじがらめに自分を締め付けるのではなく、ふっと息をつきながら続ける、ってことが心の健康を守ることに繋がるのかもしれませんね
陶:そうですね。
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