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【命を守る】有珠山噴火から24年

最近、駒ヶ岳や十勝岳で火山性微動が確認されました。

いまから24年前の3月、有珠山が噴火し大きな被害がでましたが、当時から課題とされていたのが「火山の研究者の不足やその育成」でした。

噴火を知らない世代も増えてきています。

記憶を伝え、次の噴火に備える取り組みのいま。

ふもとのマチを訪れました。

今年3月の有珠山です。

いまも火山活動を続けています。

(記者)「今までで一番大きいと思われる火山の爆発がありました!」

24年前の2000年3月31日。

有珠山は西側の山麓から噴火。

道内屈指の観光地・洞爺湖の温泉街も大量の噴石と火山灰に襲われました。

1万6000人もの住民が4か月に渡って避難生活を強いられましたが、犠牲者はゼロ。

そのわけはー

(北海道大学 岡田弘さん)「もう噴火してもおかしくない状態まで破壊が進んでいる」

“有珠山の主治医”と言われた、北海道大学の岡田弘さん(当時56歳)の、長年の研究と観察に裏打ちされた、事前の予測があったからです。

これは日本の防災に新たな歴史を刻みました。

現在80歳になった岡田さんが、当時から一貫して懸念していたことがあります。

(北海道大学 岡田弘さん(当時66歳))「人材をきちんと養成する。特に研究者。若手研究者を養成して育てなければ新しい時代に対応できない」

20~30年周期で噴火を繰り返す有珠山。

“主治医”がたびたび指摘する懸念。

あれから24年。

有珠山のふもとはいまー

(北海道大学 青山裕教授)「一番最初の噴火は、小さい小屋がある右側の斜面。そこから順番に無数に火口が開いていったと聞いています」

北大の青山裕教授50歳。

24年前の噴火当時は学生でした。

当時の北大の調査チームに加わり、そのまま有珠山の研究を続けてきました。

いまの“第一人者”です。

(北海道大学 青山裕教授)「山の下にマグマが入ってくると、周りを押し出す形になる。押し出されると、洞爺湖温泉街がズルズルと湖の方に押し出されたことで、この食い違いを作った」

洞爺湖町のこの場所は、噴火の地盤変動でズレが生じました。

“新たな世代の研究者”も地盤変動を注視しています。

噴火直前によく見られるからです。

最新の研究ではー

(百瀬記者)「今後有珠山の噴火に向けてはどのような研究をしていくのですか?」

(北海道大学 青山裕教授)「測量の基準点として、北大でここ2年くらいの間に整備した測量の基準点になっています」

有珠山の噴火は必ず山頂から…というわけではありません。

測量の基準点をあちこちに置くことで、マグマの動きによる地盤変動をより詳しくとらえ、どこから噴火するか予測できる、という研究を進めています。

(北海道大学 青山裕教授)「実際にもの(マグマなど)が地表に出てくる前に、地面の中を(マグマが)動いているときにどこに向かって動いているのかというのを捕まえていきたい」

新たな世代による新たな研究で、新たな時代の噴火に備えてー

次も“犠牲者ゼロの噴火”を目指して、着実に歩みを進めています。

2000年噴火当時、20歳だった矢田正明さん。

郵便局員の矢田さんは、配達中に起きた噴火をまさにこの場所で見ました。

この距離ですが、噴火の音には気づかなかったといいます。

(郵便局員 矢田正明さん)「ちょうど山を背中に進行していた。そのときに噴火が始まった。対向車が知り合いのお客さんで、車を止めてくれて降りてきて「噴火した」と言ってくれたが、最初何のことかわからなくて。避難指示が出ていなかったので大丈夫だろうという思いで、避難という発想は全くなかったです」

体験者も徐々に減り、噴火の記憶も薄れつつあるなか、自分にできることはないか。

矢田さんは2年前に洞爺湖有珠山火山マイスターの資格をとりました。

いま70人いる火山マイスターのひとりです。

(郵便局員 矢田正明さん)「火山地域の特性や自然を日々学んで、それを皆さんに伝えていく。防災や減災につなげていくことがマイスターの使命」

親子で「火山マイスター」の資格を取得した、張石卓司さん・夏帆さんに出会いました。

火山マイスターは防災教育の講師など、様々な活動に携わります。

(百瀬記者)「後ろに当時の車があるが、これはどういった状況の車?」

(張石夏帆さん)「この車は2000年の金比羅火口という火口から300メートル離れたところにあった車。その場所でもこのように噴石が窓ガラスを割っていたり、中にも火山灰が積もっていたり。噴石の被害の強さを表しているものになります」

夏帆さんは現在18歳。

去年資格をとった新人マイスターです。

(張石卓司さん)「結構遠くまで避難したんだよ。豊浦に避難した人もいるし、長万部まで避難した人もいるんだよ」

(張石夏帆さん)「そうなの?バスで?」

(張石卓司さん)「そうそう」

(張石夏帆さん)「むずかしいなあ…」

噴火を知らない夏帆さん。

マイスターを目指したのは、あの胆振東部地震です。

当時、厚真町に住んでいました。

(張石夏帆さん)「地震のことについて学びに行った。そしたらそこの場所にいたはずなのに、知らなかった事実がとても多くあって。私何も知らなかったんだなって。(噴火を)私たちと同じ世代に知ってもらうには、きっと誰かが知らなきゃいけないと思う。知らないからこそ、知りにいかなきゃいけないかなと思った」

(張石卓司さん)「温泉の恵みがあるじゃないですか。火山が悪いことばかりではなくて。海が入り組んで漁場になっていて、ホタテや魚も獲れているし、火山の恵みもあるんです。怖い怖いだけじゃなくて、火山の恵みでこの場所が栄えていることを知ってほしい」

火山の怖さも恩恵もー

そして噴火を経験していなくてもー

その意識は若い世代にも受け継がれています。

それが「すぐそばに火山のあるマチ」だから。

(洞爺湖町の10代)「ハザードマップが町のあちこちにあったり、学校で教育に力入れてたりとか。なんとなく、あそこに避難しようと(家族で)共有しています」

(豊浦町の20代)「大体20年おきに噴火すると聞いたことがあるので、そろそろ来るかなと思っている。噴火は身近にあるんだなと感じています」

次の世代に引き継がれる噴火の記憶と記録。

その世代が“犠牲者ゼロの噴火”に向けて少しずつ歩み出しています。
「STVニュース」  4/5(金)16:34更新

北海道